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リハビリからまさかの展開!?

執筆者の写真: Midori OnoMidori Ono

実は、私がピラティスをアメリカでスタート(2000年)したのは、ダンサーとしての体幹作りのためではなく、リハビリが目的だったのです。その頃、カリフォルニアのダンサーの世界でピラティスがトレーニングとして流行し始めた頃でした。極度の腰痛に悩まされつづけながらも体を駆使してダンスの練習をしていた私は、ありとあらゆる医療や代替治療のアプローチをいろいろと試しており、そのうちの1つがピラティスだったわけです。


あるカイロの先生から近くにピラティスの先駆者的存在の方がいるという事を知り、週1ペースで彼のスタジオに通い直接マシンプライベートレッスンを受け始めました。彼は、当時米国内を飛び回り、セミナーをしたり、教本やDVDなども出版されたりの多忙ぶりで、レッスンの予約を入れるのが難しかったのを覚えています。その方が、いまや世界的規模に発展しているBASI(Body Art and Science International)Pilatesの創始者Rael Isacwitz氏であろうとは、想像もしていないことでした。


当時の記憶で残っている興味深いエピソードがあります。ちょうどBASIスタジオでエクササイズをしているときに、ラエール氏が私に『同じ日本人だから紹介しよう。これから日本にピラティスを導入しようとされている方だよ』と。私は当時アメリカでのダンスライフにどっぷり浸かりきっており、将来日本に帰る気持ちも、ピラティスの道に進む興味もなかったので、その日本からの訪問者と交流を深めようと努力することもありませんでした。その後、その方がBASI JAPANを設立されて、日本にピラティスを大きく展開されていったと知り驚きました。現在Zen Placeに社名変更して更に拡大されているようです。


あの時から約24年が経過して、私の予定とは全く違う方向に人生が動いてしまいました。ラエル氏との最初のレッスンがあり、今の鹿児島でのピラティス活動に繋がってきているという事実は、本当に不思議なものです。

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